【目次】

1.夜逃げした10歳のあの日。

2.貧乏コンプレックスの大学時代。

3.○千万稼いでも幸せではない。お金に支配された日々。

4.今が立ち上がる時。

5.インターネットで集客するMLMビジネスの魅力

6.こんな方と一緒にお仕事したいです。
 
 

はじめまして

はじめまして
私は湖上 淳子といいます。

この度は数あるサイトの中から私のサイトを訪れてくださりありがとうございます。

私は静岡県東部在住の40代主婦です。
もともとは世田谷区におりましたが、子育てを考えてこちらに移住してきました。
緑の沢山あるこの地で主人と小学生の娘、息子との4人暮らしでとっても
幸せに過ごさせてもらってます。

趣味は旅行です。
私の人生は、No travel , No life !
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世界中の色んな都市をこの足で歩きこの目で見て、この舌で味わって、
美味しいお酒を飲むのがこの上ない幸せです。
毎年家族4人で行く海外旅行が、私にとっての一番の幸せです。

他にはスポーツも好き。スキーにテニス、ランニング。
上手か下手かは別として、お料理も大好きです。
特につまみ系がって、結局呑むのが好きなんですね。(笑)

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さて今日は、私がなぜこの仕事を始めるようになったかをお話しさせて
いただきたいのです。
この仕事に出会えたドキドキも添えてお話出来ればと思います。

自分自身の振り返りも含め、ここにまとめてみたいと思います。
ちょっと長くなってしまうかもしれません。

ご興味のあるところだけでも結構です!
読んでいただけたら幸いです。
 

 

【目次】

1.夜逃げした10歳のあの日。

2.貧乏コンプレックスの大学時代。

3.○千万稼いでも幸せではない。お金に支配された日々。

4.今が立ち上がる時。

5.インターネットで集客するMLMビジネスの魅力

6.こんな方達と一緒にお仕事したいです。
 
 
 

1.夜逃げした10歳のあの日。

私は大阪の商家の育ち。母の父親が創業し社員150名程の中小企業でした。
オーナー社長だったのでそれなりに裕福な家庭で幼少期を過ごしていました。

それこそ買い物は外商だったし、どこかに出かけるも運転手さんが付いていました。
それらは幼いながら記憶に残っています。
が、それは10歳のある日突然に断ち切られます。

その日は知らない人が沢山来てバタバタしている朝でした。
いつになく神妙なおももちの母に私と妹は呼び出されます。

「二人ともそこに正座して聞いてください。
 お父さんの会社が潰れちゃったので、これから東京に引っ越します。

ん???
母の言っていることが正直よく分からない。10歳ですから。
自分の子供が今丁度10歳。たぶん事の深刻さはわかるはずもないと思うけれど、

なんかこれはいつもと違うぞ?!とは感じました。

今思えば、これはいわゆる夜逃げでした。
実際には昼でしたけど。

なんだかわからないけど、ただならぬ雰囲気は感じて、
その日は押入れの中に籠っていたのを何となく覚えています。


Asian Girl


引越し先は東京の父方の実家。
この日からは、特に母親は苦労の連続だったと思う…

ドラマのおしんを地で行くいくような毎日。

転がり込んだ私達を迎え入れる父親方の家族は、祖父母に加え
変わり者で独身のオジ・オバ。
オジ・オバは、ひとことで言っちゃえば本当に意地悪な人達で。(泣)

祖父とオバは公務員、オジはろくに仕事もせず、祖父にぶら下がっていました。
祖母はまったく気が利かない人で家族のいいなりでした。

東京の生活では、母が毎日9人分のお三度と家事全てを引き受けました。
体力的にかなりきつかったと思う…。
精神的にも感謝の言葉はいっさいなく、嫌味ばかり言われ続けていました。
まともな人間ならおかしくなると思います。

そんな中での私達3人兄弟の子育てはさぞかし大変だったと察するのでありますが、
私の母親という人間はいい意味でも鈍感な人で、
PTAやボランティアに一生懸命参加しましたが、
家計がこんな状況なのに働きに出ることはありませんでした。

嫌味を言われるのに格好の材料であったわけですが、
結局お嬢様育ちが抜けず働きには出ませんでした。

父は倒産した化粧品会社を細々再開させていましたが、
そもそも経営のセンスがなく、正直会社をたたんだ方がいいレベル。
なのに趣味のようにやり続け、常に祖父からお金を借りていました。

徐々に実家(祖父)のイエスマンとなり、「毎日9人分の家事を押し付けられ、
感謝もなく嫌味言われ放題である母」の肩を持つことは 一切なくなっていました。

そんな様子を傍から見ている多感な時期の私は、
もうどうしても父との会話が出来なくなってきました。

一方でお嬢様育ちの母は、どうしてもそのお嬢様な感覚が抜けません。
私達3人をを愛情いっぱいに明るく育ててくれた母親には多大な感謝をするも、

どうして生き方を変えられえないんだろう
どうして自分の幸せを放棄するんだろう

という反感はずっと持ち続けています。

私だったら働いて文句は言わせないし、
こんな家嫌だったら経済的にも自立して出て行ってやる!と思うのですが。

こうした経験はいつしか自分の中の一部分として根ざしていきました。
今ある暮らしなんて、ある日突然なくなっちゃうかもしれない。

両親のようにはならない!
自分の人生は、自分で切り開く。
 

 

2.貧乏コンプレックスの大学時代。

進学の時期なると「女性にも教育が一番」と相変わらず理想(空想)なかで生きていた母は
一生懸命に父を説得し、父は祖父の援助を得て大学まで行かせてくれたのです。

おかげさまで運よく一流大学に合格しました。
ですが、教育ローンまでして入れてもらった大学生活は堕落したものでした。
昼まで寝、勉強せず、バイトして、遊んで、旅行に行って…の繰り返し。

入ったテニスサークルは華やかで「いい家の育ちの坊ちゃんお嬢ちゃん」ばかり。
育ちがいいから性格もいい。

一生付き合っていける友達も出来たけど、
貧乏育ちな私はいつもどこかに引け目を感じていました。
貧乏コンプレックスです。

そんな貧乏な私がなぜそういうサークルで遊べたのか、旅行に行けたのか。

それはアルバイトにありました。
勉強はさっぱりだったけど、アルバイトにおいてはかなり才能を発揮しました。(笑)

中でも家庭教師ではなく、家庭教師を斡旋する営業職では成績優秀でした。
週3回3時間程のバイトで10数万を万稼いでいましたから、
新卒で初月収をもらった時は朝から晩まで働いてこの金額かと、
あまりに安く感じてびっくりしてしまいました。

そんなわけで、早く仕事に就きたいな。
自分で稼ぎたいな、自立したいな
という思いは常に持っていた学生時代でした。

やがて卒業後は一部上場企業の食品会社に女子総合職として就職。
和気あいあいとしていて、とてもいい会社だったと思います。

ただ、どんなに頑張っても結局評価はほぼ同じ。
典型的な終身雇用の、あまりに横並びな人事につまらなさを感じてしまいました。

就職5年目の夏、転職することにしました。
 

 

3.三千万稼いでも幸せではない。お金に支配された日々。

転職先は外資系の生命保険会社の営業。
いろいろうまく行かないこともありましたけど、ほぼ360日夜遅くまで働き続け
徐々に成績を上げ、上位クラスのコンベンションで表彰されるまでになりました。

上位クラスのコンベンションで表彰されるくらいだと、年収はざっと3000万。
ボーナスは年4回で、多い時だと数百万が一気に口座に振り込まれます。

人間お金が急にたくさん入ってくると確実におかしくなります。
下品なお金の使い方をして、自滅していった人
をこの目で何人も見てきました。
また成績が上がらなくなり精神的に追い込まれ、心身が壊れていく人
も何人も見てきました。

お金をコントロールできなくなった、お金の虜。
これはお金に支配されてしまったということなのだと思います。

お恥ずかしながら私もこの中の一人。
自分で稼いだお金なんだから何やってもいいじゃない。
これだけ稼いでいるんだから、私は偉い。

いつしか驕って(おごって)周囲の人に感謝できなくなってきていました。

ご存知の通り、外資系と言えど生命保険の営業ですから、
まずは自分の周りの人間(親戚、友人、知人)からアプローチしていきます。

「淳子から(営業の)電話かかってきた? たぶんそのうちかかってくるよ。」
なんて陰でささやかれながら成績を積み上げていくのです。

周りを見渡すといつしか友人達と疎遠になってしまっていました。

Woman Expressing Vulnerability In The Dramatic Interior

身体の方も若かったとはいえ、休みなく働き続けたので疲れ果てていました。
体力と魂の切り売りです。

もう少しこの状態が続いていたら、私も心神喪失して
おかしくなっていたかもしれません。

幸い主人がそんな私を救いだしてくれました。
ほどなく結婚し仕事は退職しました。


4.今が立ち上がる時。

あれから14年、幸せな家庭に恵まれて現在に至ります。
大切なものができたから、生活も落ち着きました。
今が一番まじめ(笑)、健康的、幸せ!

かわいくてしょうがない二人の子供達は上は中学生。
大きくなりました。
そしてちょっと時間ができました。

そして、気が付きました... 
今の私って逃げてはいないでしょうか...?!

この10年数年、私はどっぷりと専業主婦をさせてもらいました。

確かに年子2人の子育てはそれなりに忙しかったのですが、
ものを考えることを、収入を得ることを主人に頼りきってしまいました。

家事・子育て以外のことで、すっかり自信も失っていたのかもしれません。
お金は主人が稼ぐもの。考えの甘い主婦でした。

そんな中 数年前主人が病気をしました。
我が家は自営。
補償のしっかりした大企業で働いているわけではありません。

もしもの時は誰が助けてくれるの?

仕事を休んでいる間は、それこそ不安で不安でたまらなかったです。

建てたばかりの家のローンは?
生活費は?
会社は?

なのに私は、小さな子供2人抱えて仕事に出る決心もつかず、
結局そのままに。

幸い長引かず良くなりましたが、
私以上に主人が心許なかったであろうと思います。

2年前には東京の妹から電話がありました。
母が目の手術をするとのこと。

両親はといえば、相変わらず冷えた関係です。
家にお金がないとどうなる? 夫婦には喧嘩が絶えません。
たまにかかってくる母からの電話で、
「父がお金を入れてくれない」という話を聞くのはとても辛いです。
     画像の説明

私達姉弟3人が結婚して家を出た後、
母は気が抜けたような生活を送っています。

散々母をいじめた祖父母は他界しましたが、亡くなるまでの10年、
母はかわいがられてもいない義父母親の介護に追われていました。

真夜中に起きて下の世話まで…

だけど父・オバ・オジは見て見ぬ振りで手伝おうともしませんでした。
父が祖父から借金をしているから当然だと、押しつけられた介護でした。

母はクタクタにくたびれ果てていました。
だから祖父母がなくなった時には不謹慎かもしれませんが、
よかったねって言いたいぐらいでした。

そんな母が目の手術。
保険の効かない手術で高額(70万くらい)なので、両親ではとうてい無理。

私たち3姉弟で助け合おうということになりました。
もちろん母のために治療費を援助するのはやぶさかではありません。

ただ少しぞっとしました。

もし自分がこんな風になったら?
自分で治療費が払えなかったら、子供達にお金をお願いするの?

     Woman Patient And Medical Instrument



もう一つ、こんなことが。

これは昨年のこと。
ふとクレジットカードを作ってみたくなり作ってみました。

借金などは無いですから、カードはすぐに直ぐに作れました。
ただ、その限度額にがくぜんとしました。

限度額8万円って…(汗)
冗談かと思いました。
主婦の私ってそんなに経済的信用ないの???
   

思えば今お金の面は全て主人任せ。
気がつけば自分の母親と同じ。自立できない女。

そこから私の再チャレンジが始まりました。
ただ今回は独身時代のように昼夜働くわけには行きません。
仕事中毒になって家族や友人と疎遠になってしまった、昔の苦い経験もあります。

実際そんなに自由になる時間なんてありません。
朝からお弁当作って、掃除・洗濯・炊事。

地方都市なので子供たちのことは、すべてが車で送り迎え。
1日2~3時間運転しっぱなしもざらです。

地域のお仕事も頻繁にあります。

ということで私の仕事探しは、
自宅で自由に時間が使えることに最大の焦点です。

っていうとカッコよく聞こえるかもしれませんが、
悲しいかなスーパーのレジ打ちだって
40歳を超えると求人すらありません。(泣)


色々やってみました。Amazon、ブログ、PPCアフィリエイト…

空いた時間を使い継続することで、少しずつではありますが収入も発生してきました。

こうした仕事は自動化できます、なんて謳われていますが
それは嘘です。

手を止めてしまうと、どうしても収入も落ちてきます。

急に為替が大幅に動いたり、
扱っていた案件が突如終了したり、
ルールが変わったり。

外部的な要因で順調だった売り上げがパタリと止まる。
正直気持ちも萎えます。

売上を上げ続けるには、新しいサイト・案件をやり続けるしかありません。
ずーっと、ずーっとこれを続けるのです。

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